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寄島の誕生

神功皇后が仲哀天皇の御遺志をついで三韓征伐大浦神社起源

言い伝えによるとその昔、神功皇后が仲哀天皇の御遺志をついで三韓征伐から帰還された際、

吉備国の小島(三郎島)に御舟を寄せられ、天神地祇を奉祀されたという謂れがあります。

以来この島を「寄島」と呼ぶようになりました。

※天神地祇-てんじんちぎ-…天の神、地の神、あらゆる神さま

その後(997年)安倍晴明が、寄島(現在の三郎島)に
応神天皇・仲哀天皇・神功皇后の三神を氏神様としてお祀りしたと伝えられる。 

 

安倍晴明

997年に安倍晴明が三郎島に応神天皇(與田別命)・仲哀天皇(足仲彦命)・神功皇后(息長足姫命)を祭祀したと伝わっている。更に永禄,年間(1559年ごろ)備中守護職細川氏の分流の細川通薫(みちただ)が居城の青佐山城の鬼門に三郎島からこの大浦の地に遷宮し八幡宮として祀った。 
安倍晴明大浦神社ゆかり

氏神様

応神天皇大浦神社の氏神

応神天皇

(15代 おうじん天皇)

神功皇后大浦神社の氏神

神功皇后

(応神天皇の母 じんぐう皇后)

仲哀天皇大浦神社の氏神

仲哀天皇

(14代 ちゅうあい天皇)

女神でありながら武神

三郎島から大浦の地へ

大浦神社三郎島

1559年。毛利の武将である細川通薫が寄島町内にある青佐山に城を築城する際、鬼門を封殺するため、城から見て鬼門の方角である現在の鎮座地「大浦」に三郎島にあった氏神様を遷座した。社殿は辰巳(吉)の方である、三郎島を向いている。

​向拝殿(お賽銭箱がある場所)から上を見上げると

​鬼門(丑寅)・吉方位(辰巳)の方位が分かる。

大浦神社方位盤

※方位盤

競馬神事のはじまり

細川通薫が八幡宮を現在地に遷座した際に、配下の「地頭」「領家」から20頭づつの神馬を神幸行列に参加させたのが競馬神事の始まり。

現在のように例大祭において神馬2頭が競争するようになった経緯は、遷座当時、氏子区域は「地頭」と「領家」に分かれており、その勢力争いとして実際に人々が戦うのを避けるために「領家」と「地頭」からそれぞれ1頭の神馬を選出し、2頭の神馬が御神前において競馬をするという「競馬神事」が誕生した。

国内唯一の競馬神事の過去の貴重な画像
大浦神社競馬人事貴重な画像

平成23年10月25日に浅口市無形民俗文化財に指定

その他浅口市指定文化財一覧はこちらから
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